204日目 "再出発”のとき

【”再出発”のとき】

アメリカに来てから半年が経ちました。

ご存知の方もいるかもしれませんが、大切な人の死により失意の 緊急一時帰国 をし、留学先のヒューストンを離れ5日間札幌に滞在。新たな気持ちを胸に 再出発 を誓いました。

これまでの半年の留学生活、一時帰国、日本での短い滞在について綴ります。

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”留学生活はまずまず順調です”

留学といえど、一般的に想像されるような講義を受けて試験を受けて単位を取って…というものではなく、僕の場合は完全に研究に特化した留学なのです。研究経験浅く,何するにも不器用な僕ですが、ありがたくも実際にRice大学の研究室に所属させていただき、こっちの大学院生と一緒に日々研究を行っています。

アメリカで実際に研究活動に従事して最初は驚きの連続でした。プロジェクト単位で進んでいく研究。共同研究の多さ。仕事のスピード感。朝から晩までの実験の日々。プロジェクトでは修士1年でも大きな裁量が与えられること。求められる実験精度の高さ。最新鋭の実験装置。

ついて行くのが精一杯で、タスクや実験が終わらず徹夜してしまう日もしばしば。本当に素晴らしい環境なので一分一秒無駄にしたくない…もっと僕の要領が良ければな…と両者の感情の狭間で、悔しさを感じるときもあります。そんな中でも、Riceでの研究を学術誌に投稿する日を夢見て日々試行錯誤です。僕を受け入れてくださった教授の先生はもちろん、ディスカッションに付き合ってくれる研究室のPhD学生、共同研究者の方、支えてくれるヒューストンの先輩,友達に感謝感謝の毎日です。恐縮ですが、彼ら彼女らのお陰で僕にとって贅沢なくらい恵まれた環境で,本当にいい経験をさせてもらっています。


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”日本という国”

留学経験して帰ってきた人の多くは、海外の良さに気付き、次のステップ(照準)を海外に定めます。僕もそうなるのかなあ、と漠然と思っていました。この半年間、いろんな経験をして日々考えました。

やっぱり僕は、日本が好きでした。

トビタテもそうだし、今回の留学受け入れも将来的なキャリアプランを海外に向けるための意味合いが強いと思います。留学当初は、「海外の大学院いいなあ…」「外資系の企業とか憧れる…」というように実力不相応にちょっぴり視線が斜め上を向いていました。ただこうやって半年間の留学生活を経験して、今回のショックな出来事も影響して、将来は日本に尽くすことに決めました。

何でだろう、ただ単に日本食が恋しいから?アメリカは自由すぎるから?自分が日本人であるから?日本に憧れる学生が多いから?…どれも僕にとって正解な気がしますが、やっぱり理由は今の所分かりません。きっと深層心理、直感的,感覚的なものから来るのかもしれません。帰国までにもやもやっとしたこの感覚を言葉にできるようになればいいな。

短絡的な自己肯定になってしまいますが、きっとこのように,結果的に思考が国内に向く留学も,海外での経験を日本に取り入れるという観点から,あっても良いんじゃないかなあと信じています。


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”こんなに素敵な体験をみんなにも”

僕の切なる願いです。自分の話になって恐縮ですが、高校のときは3駅離れた札幌駅に行くことですら”大冒険”、大学2年で先輩と東京へ旅行に行くってなったときは防犯ブザーを2つ持って行きました。大学3年生20歳の時に北大の研修プログラムFSPで初めて東南アジアに2週間滞在したことが ”大きな転機” となり、以降長期留学を夢見て英語の勉強に取り組み、英語力未完成ながらも単身アメリカに渡りました。来るまでは120%ドメスティック人間だったのです。

きっと大学生誰しも1度は憧れる、”留学ってもの” は遠い存在ではないのかもしれない。トビタテもそう、TOMODACHIプログラムだってそう、海外にちょっぴり目が向いた人たちへの支援は最近本当に増えてきています。こういったプログラムを推進し,何とか留学を身近なものに…するにはどうしたら良いだろうと悶々と考える毎日です。

留学する人は優秀な人たちばかりで膨大なお金がかかる…そんなイメージを払拭できるのは、大学2年生まで海外の"か"の字もなく,家庭事情から留学資金を持ち合わせていなかった、僕なんじゃないかなあと思います。

北大の全ての学部生,大学院生計2万人にとって、これまでの海外経験如何に関係なく、海外が身近になるような、行きたいけど行動に移せず悶々とした日々を送っている人たちにそっと手を差し伸べられるようなイベントがあれば…。経験者が海外生活の辛さも厳しさも楽しさも隠さず全て伝えて、共有できたら素敵だなあって。

そしてそのイベントを機に、誰かたった1人でも、そして短期留学でも,ちょっとしたバックパックでもいい、周囲に小さなことと思われても、揶揄されても ””その人にとって”” 大きな一歩を踏み出せるようなキッカケになれば本望です。




最後に…
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”大切な人の死”

きっとこれからの人生のターニングポイントになると思います。少なくともこの23年間生きてきて1番の衝撃でした。根っからの父親っ子だった自分にとって一生忘れることはないと思います。

同情されるのが苦手で多くの人に秘密にしていた事実があります。僕が13歳の時に、世界で1番大好きで尊敬していた父が大きな病に倒れ、今まで10年間、昏睡状態を余儀なくされていました。その10年間、2度生死を彷徨うも、ずっとリハビリを頑張ってくれました。留学終えアメリカから帰国し、父母に立派になった姿を見せてあげることが、実は僕の留学の,紛れもなく1番の目的だったのです。

帰国まで残り数ヶ月だったのです。きっと僕の帰りを待つべく身体の異変と一生懸命闘ってくれてたのだと思います。3月20日、いつも通り朝5時に起きて見たメールボックスには、あまりにも突然の悲しい知らせがありました。最期に居合わせることは出来ませんでした。

考えられうる最速の便に乗り,ただ不運にもANAのシステムトラブルで大幅に遅れ帰国しました。お通夜,葬儀などを済ませ、今ヒューストンに向かうべく太平洋上空で文章を書いています。

こんなときに再度アメリカに向かうこと、気丈に振る舞ってはいるものの、辛さはもう想像以上でした。あまりにも突然だった。でもここで立ち止まっていてはいけない、感情の全てを押し殺し歯を食いしばり,涙を流しながら、ヒューストンへの便に乗りました。

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僕は同情してもらうことが(もちろん気持ちに寄り添ってくれてるという点では心からありがたいですが)、実はちょっぴり苦手なのでこういうこと書くのはとっても躊躇いました。もしかしたら批判もあるかもしれない…小さな勇気振り絞って詳細に書いてまでお伝えしたいことはたった一つ。たった一つだけ。

「大切な人との別れは,想像しているより少し早く,もしくは突然やってくる」

本当に,残酷なまでにこの世は無情なのだと思います。親でも友人でも恋人でもどんなに大切な人でも明日も会える保証はない。大切な人の ”その時” が来るのは、今日かも明日かもしれない。留学中かもしれない。誰もが周りの大切な人に感謝の気持ちを伝え続けれると、来たる ”その時” の後悔を少しでも減らせるのではないでしょうか。遠くの田舎に住む,じいちゃんばあちゃんに久しぶりに電話してみてはどうでしょうか。僕もこれからはこまめにそうしよう。そんな小さな,ちょっとした優しさ溢れる素敵な世の中になればいいな。

これもまた、本望です。



さて、ヒューストンに着きました。こちら午前11時。Riceに向かいます。新しい留学生活の始まりです!

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