"Reap the harvest" 〜すべてを終えて思うこと〜
恐縮ながら2つ、報告させていだきます。
米国留学時代の研究成果が、アメリカの国際学術誌 ACS Photonics (American Chemical Society) に受理・掲載されました。また、FNTG51 (The 51st Fullerrenes-Nanotubes-Graphene General Symposium)にて学会発表を行ったところ若手奨励賞をいただきました。
http://www.eng.hokudai.ac.jp/graduate/news/prize/?file=4573
“Giant Terahertz-Wave Absorption by Monolayer Graphene in a Total Internal Reflection Geometry“ ACS Photonics, 2017, 4 (1),pp 121–126, Y.Harada et al,
http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acsphotonics.6b00663
My publication as a first author has been published to ACS Photonics (American Chemical Society), and resulted in the Young Scientist Award of FNTG51 (The 51st Fullerrenes-Nanotubes-Graphene General Symposium).
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研究分野は、グラフェンの物性測定。炭素原子(C)一層で構成されるグラフェンは2007年に発見、ノーベル物理学賞を受賞された物質です。特異な性質が故、世界の研究者がこぞって研究してきた分野で大方研究され尽くされてしまったとも言われています。だからこそ、こうして新たな物性が明らかになったことには意味があると私は思っています。と同時に、国際学術誌執筆、学会賞受賞というプロフェッショナル界からの承認を2ついただくことで、自信にもなりました。また、理論計算との一致も論文執筆の後押しになりました。協力してくださった方々には心より感謝しております。
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1. ただ一方で、留学生活は困難ばかりだったように思えます。
自分の中でこの留学にはこだわりがあって。たった1年の留学生活、しかも世界トップクラスの研究大学に”研究者として”行って何ができるんだ、というお声も多く頂く中、身の程知らずの僕の目標は、「論文発表して世界に発信すること」。修士1年が1年間という短期海外滞在で論文を残すことは非常に困難を極めるし、その大変さは重々承知していました。しかし、幼いころからの夢なので、絶対にやってやるという強い想いは確かにありました。
““大きな志を胸に、アメリカに渡ったものの、待ち受けていた現実に直面して足がすくむ毎日でした。何にもできないんです。本当になにも””
あれだけ英語を勉強したけれどもミーティングの内容が何一つ理解できない。だからこそ発言もできない。そもそも研究の知識がないから、ディスカッションができない。チームを組んでプロジェクトを進めないといけないのに、どうやって声をかけたらいいかわからない。
でもやっぱりあきらめたくない。どうしたらいいか毎日毎日、ずっとずっと、考え悩み続けました。短絡だけれども辿り着いた答えは、試行回数と質を上げるということ。誰よりも不器用で経験不足な分、同僚の4倍も5倍もトライアンドエラーを重ねるしかない。その一心で続けていました。
そうやって膨大な時間を費やしてながら懸命に取り組んでも本当に何ひとつ結果なし。7ヶ月、210日もの間続きました。失敗し続けても根拠のない自信で自らを鼓舞するしかありませんでした。最新鋭の設備、共同研究のチャンス、優秀な同僚、環境が素晴らしかっただけに本気で悔しかった。どれだけ意気込んでいても、膨大な時間を費やしても結果が出ないその現実と向き合う必要がありました。自らの無力さにもうダメ無理だと感じ、諦めが確信になり始めた8ヶ月目、2016年3月。
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2. 教えてくれたのはまたも父でした
僕の人生において、”ここぞ”というときに的確なアドバイスをしてくれる人。世界で一番尊敬している私の父です。今度は自らの死をもって僕に伝えてくれました。あまりにも突然の知らせを聞いて、大急ぎでビザと航空券の手配、関係各所への連絡をして飛行機に乗り込みました。「自分はアメリカに来て何をやっているんだろう」。飛行機の中で、自分が留学した意味を何度も何度も何度も再考しました。気丈に振舞ってはいたものの悲しさは想像以上だった。でもそれ以上に、大仰にアメリカまで来たというのに何もできない自分に対して怒る気持ちが、あまりにも強かった。
考えてみれば、自分がアメリカに来た理由は父親なんです。時は遡り小学1年生のころ、頑張って取り組んだ自由研究で葉っぱの形態に関する発表をして入賞。それからサイエンスへの興味が強くなる僕に、月の満ち欠け、植物の名前、天気の移り変わり…一生懸命教えてくれたんです。図書館でたくさんの本を借りて読んでいた僕に、父が言った言葉、「要一、アメリカで研究したらどうか?」。あれが全てのきっかけであり、以来の”夢”だった。この夢は、潜在的なものででてくることはなかったけれども、心の奥底にありました。
そういった”内なる意思”に気付いたときから再出発は始まった気がします。1週間の日本滞在を終えて、米国に再入国。その後はある種の”フロー状態”でした。朝から晩まで、ときには朝から朝まで取り組む毎日でした。身体と心を気遣う周囲の声が聞こえなくなるまで没頭しました。恥ずかしながら、流動食しか食べれない日々が待ち受けていましたが、間違いはなかったと思います。
米国に再入国して2ヶ月が経ちました。そんなある日、普段通り実験をやっていたらいつもと違う結果を得ました。とにかく先生に見せたい一心でスライドにまとめて、報告しました。その後、入ったメールが「この結果が本当なら必ず論文にできます。たくさん実験してください」という一文。ようやく報われた…。その日の空の色は、不思議といつもより青く透き通っていて、いろんなことが走馬灯のように蘇り、たった一人涙した記憶があります。夢が近づいた気がした、そのとき最初に感じた感情は “周囲への感謝” でした。ようやく”研究者として”の留学が始まりました。
一方で帰国までたったの2ヶ月。普通に考えたら論文にまとめるにしては短すぎる期間。何もかも忘れて2ヶ月間死に物狂いで突っ走りました。そして帰国前日7月6日の夜にようやくすべてが終わり、それから数時間で慌てて帰国の準備。実験結果の解析は飛行機の中でしました。すべてがギリギリの日々。でもここでもまた新たな成果が出ました。
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"Reap the harvest"
あの悲しい出来事があってからいろんな人にこのフレーズを言われました。大好きな言葉です。あのときの出来事がなかったら今はないのかもしれない。大きな夢風呂敷広げ、アメリカに渡ったのですがもうすこしで叶えられるかもしれない。そう思い始めた7月。結果として、理論・製法・実験それぞれの大御所の先生方と共著者8名で協力しながら論文を執筆することになりました。
でもやっぱり、筆頭著者として学術論文を執筆することは想像以上に大変で大変で…アイディアを世に公表する苦しみと楽しさの両面を味わいました。こんなにも多くの困難が待ち受けているなんて思いもしませんでした。執筆過程でデータの信ぴょう性に不安になったこともありました。でも研究においては謙虚や不安は”罪”。この結果には価値があると自信持って言えるし、1年間アメリカでやってきたことと自らのデータに自信持って議論できたと思っています。最終的にはこうやって努力が認められ…留学前思い描いていた目標を最高の形で達成することができ、嬉しい限りです。
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3. 人生ってきっと小説のようなものだと思っています。
自分という主人公が登場する小説があって。日々、いろんな出来事・決断を経験しながら生きていく。でもよく考えてみると、独立しているように見えるそれぞれの事象(点)には、インサイト(内なる意志)が隠されている。そのインサイトをもとに、「これを成し遂げたい!」と考え実行していく。そうやって、点が線(ストーリー)になって行動し続ける人は一貫性があり、憧れます。人生そのものが “小説” のようです。ずっとずっと、そういう人になりたくて。まさに父親がそんな存在で。心から憧れて、日々がむしゃらに行動していました。
例えば、「頑張ったけれども何にも成し遂げられなかった…」そんな小説でも自分は必ず誇りに思うはず。それが自分の内なる意志に基づいていれば、プロセスは誇りに思っていいんじゃないかな。取って付けたような承認欲求ではなく、内なる意志であれば次に活かすことも容易だと思うんです。
先日、僕の仲良い友人が「何をやっても上手くいかない。失敗だらけでもう嫌になる」と泣きながら言っていました。僕はその子の日々の頑張りを知っていたし、確固たる夢を抱いて行動している姿を見ていた。だからこそ、いつも以上に心にくるものがあった。アメリカでの苦しい日々を経験する前は、そこまで感じなかったのかもしれない。でもやっぱり今は、一貫した信念持って頑張る人を見ているといつも以上に感情が動く。”ありのままで大丈夫、なんとかなるよ”と言ったのだけれど、アメリカでの生活を終え、ちょっとだけ成長した今だからこそ、少しだけ説得力を持って言えたかな。
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4.留学という”選択肢”
20代の1年間ってなににも変えられないくらい大切な時期。若いが故に目に見えるものすべてが新鮮で、若く多感な心を刺激すると思うのです。なんの取り柄も才能もない自分が、優秀な人たちに囲まれて劣等感に苛まれながら研究に没頭したのも良い経験だった。なんにも持っていない未熟な自分が、どうやって生き抜くかひたすら考え続けた毎日でした。そうやって、勇気振り絞ってあまりにも貴重な1年を留学に費やしたけど、それだけの価値はあると信じています。
そして今思うこと。これは、本気で成し遂げたいのだけれど『”海外行くことがすごい”という風潮をぶち壊したい』。この国には少なからずそう言った風潮があるかもしれません。その人にとって、真剣にやりたいことがあったら、”気楽な気持ちで” 海外を選択肢に入れられるようになれれば素敵ですよね。短期留学でも,ちょっとしたバックパックでもいい、周囲に小さなことと思われても、揶揄されても ””その人にとって”” 大きな一歩を踏み出せるようなキッカケを作るべく北の大地で奮闘しています。
昨今、「留学すれば視野が広がるよ!」「グローバル人材への一歩!」など陳腐な言葉が溢れる世の中ですが、「自分の意志・夢を持って実行に移した留学」に至っては、言葉にできない価値があると私は考えます。もし何か行動したいという思いが心の奥底で燻っているのであれば、とってつけたような自己顕示欲ではなく、考え抜いた先に辿り着いた自らの"内なる意志"に基づいて留学計画を立ててみてください。そうすればきっと思いもよらぬ発見があるかもしれません。
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5. さいごに
僕の場合、「生き急いでいる」とかよく揶揄されるんです。でも、こないだある人が『きっと、君は ”有限の命の価値” を知っているんだよ』って言ってくれたのはとっても嬉しかったし、涙出そうになりました。その”有限な生”の中で、アカデミアの道で業績を残せたこと、自信にしたい。でも決して傲慢にはなりたくない。絶対に。アメリカでの経験は、次なる飛躍に役立てるためにあくまで内に秘めたものにすべきだと考えています。一旦リセットして新たな一歩を歩みます。
ただ一方で、僕の経験を発信することで、誰かの小さな一歩につながればと考えております。身分に合わず発信しましたが、僕はまだまだ未熟。それは自分が一番よくわかっているつもりです。何年後かに会えるかもしれない僕の子供に誇れる ”カッコイイ大人” になるため。そのために不器用な青二才はこれから泥臭く努力を重ねたいと思います。
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。
(宣伝になって恐縮ですが、4月中旬にとある本が出版されます。友人が書いた本で、自分の内なる意思を考えるきっかけになる非常に良い本だと思います。その一節に、僕のアメリカでの生活、想い、これから、などが掲載されています。興味ある方は、ぜひ読んでみてください)
留学推進活動にかける想い ~留学をもっと身近なものにしたい~
留学推進活動にかける想い
~留学をもっと身近なものにしたい~
帰国直後からトビタテの有志で細々と続けている留学推進活動のお
1. 「留学って遠いよね。すごい人がするものだよね」
自分の話になって恐縮ですが、
そこで感じました。きっと大学生誰しも1度は憧れる、”
2. そこにメスを入れ、大きなムーブメントに
北海道には僕みたいに「留学したいけど遠い...」「
このイベントを機に、短期留学でも、
そんな想いを元に、札幌圏近郊5大学でこれまで24回開催し、
斬新なスタイルが評価されたのか、
3. 最初はいつもつまずいてばかりだよね
そしてありがたくも、可能性と実績を評価され、トビタテ留学JA
こうやってみると、
僕自身は研究活動を行なっている修士2年生です。
4. さいごに
『きっとこの世は手を挙げた人、
自分が体験していないことって、往々にして「すごそう」
5. 謝辞
一連の活動全てが、僕に支援してくだったトビタテ事務局、
また、この企画を行うにあたり、札幌圏の大学の先生方、
(※直近では10月26日(木)に北大北図書館にて開催)
https://goo.gl/forms/
306日目 今考えること
1.
「本当に終わってしまったんだなあ…」
あと2時間もすればこのヒューストンを出ます。
初めは馴染めなかったこの街も今となっては故郷の一つのよう。
10か月も過ごして、考え方も、文化も生活も、アメリカに染まった今、「日本に帰る」のではなく、「"日本”という国に行く」という感覚になりました。そしてこれから行く“日本という国” はどうやら素晴らしい国だそうです。街は綺麗で、安全で、夢や家族のために懸命に働くひとたちがいっぱいいる…、そんな素敵な国。周りの人がそう言っていました。これからそんな国に向かいます。今はとっても寂しいけれど、新天地であるその“日本” でまた新たな夢を追いたいと思います。
思い返せば、この10か月いろんなことがありました。たかだか10か月、されど10か月。僕にとっては長くもあり、短くもありました。これまでの22年間と全く違う環境で過ごしたことから時間の感覚も何だか不思議です。2年も3年もいたような感覚だけれども、経過したのは約1年。僕がいてもいなくても、日本の家族,友人の間では同じく1年が経過している。暑さの和らいだ去年9月に出発し、季節は巡り巡り、今は7月。みんなにとっては1人の友人と1年間会えなかった、ということになりますが、僕にとっては何十人の友人と1年間会えなかった、多くの交友関係に空白期間があった、ということになります。みんながどんな反応するのだろう、まだまだ何かと弱かった出発前に比べて成長したのかどうなのか…。心配でもあり、楽しみでもあります。
2.
ヒューストンをこれから旅立つ今の気持ちは、やっぱり「寂しい」。こんな僕でも、みんな仲良くしてくれて、家族のように温かく、そして辛いときも寄り添ってくれました。留学中の3月末に父を亡くし、精神的にも体力的にも限界状態を迎え、恥ずかしながら拒食症を発症してしまった5,6月。そんなときに支えてくれた素敵な仲間がいっぱいいた。こんなに素敵な人たちと交友関係を築けたこと、ずっとずっと誇りに思っていた。彼ら彼女らにもう会えない、受け入れがたい、辛い現実です。
なぜこんなに辛いか。残念ながら「留学先での出会い」っていうのはやっぱり一度きりになってしまうことが多いのです。同じくvisitingで来ている仲間たちやメディカルセンターで働く人たち、そしてRiceで学ぶ学部生PhD学生、Internationalな学生は数か月もしくは数年したら母国に帰りそれぞれの道を歩みます。「I hope to see you again!(また会える日を楽しみにしているよ!)」とみな最後にあいさつを交わすのですが、誰もが分かっています。これが最後の出会いということを。
年を重ねるにつれ、こういった “寂しい”といった気持ちを強く感じるようになってきた気がします。感情の変化かもしれません。他にも、何かに楽しさを感じること、苦しいことを目いっぱい苦しむこと、悲しいときはありえないほど悲しむこと、そういった感情をちょっぴり大げさに感じるようになってきました。特に、3か月前の悲しい出来事があって以来。その自分の中のちょっとした変化が僕はうれしいです。
なぜかというと、僕は「感情に素直な人」が人間的に好きだから。
「感情的な人」というと、ちょっぴり負の側面にフォーカスした表現ですが、そうではなく、『感情に素直な人』。
例えば、何か新しいことを始めようとしたときに「それ面白いね!!」って目をキラキラさせて言ってくれ、ワクワクを表現してくれる人。例えば、自分が本当に苦しんだり悲しんだりしているときに一緒に悲しんでくれる人。きっとそういった人たちが、周囲の人を惹きつけて、世の中にプラスの変化を与えていくのだと僕は思います。そんな素敵な人たちに少しでも近づくこと、これも人生の大きな目標です。
ここまで、留学生活で変わった「感情面での変化」を書いてきました。次は、アメリカに来るようになったきっかけなどをお話しできたらと思います。
3.
アメリカにきた “きっかけ” をじっと考えたとき、幼いころにまでいきつきました。
幼いころから、自然や宇宙が好きで、「ぼく、将来は立派な研究者になるんだ!」って夢を見て、そうやって父や母に伝えていました。そして、小学校1年生のときの「自由研究」で賞を取って幼いながら自信になり、そこからずっとずっと研究者になることが夢…。研究の傍ら英語英語…そんな毎日。毎朝4時から4時間勉強するも、ただやっぱり不器用だったため、iBT8回、IELTSを2回も受けました。受験料計25万円。それでも基準点に達することなく交換留学受け入れが破棄。そんな中でRice大学は僕を受け入れてくれました(Riceは高い英語力を求めないこと,積極的に受け入れてくれる先生がいることが幸いしました)。オファーを送ったどこよりも最高の環境だと思っています。そしてトビタテも何とか合格(おそらく2期生で一番下だと思っています)。非常にありがたいことに、資金的な面での不安が消えました。
こうやって、きつかったこと失敗したこと書くのは、「あいつアメリカに行った、すげえ!」ってなると、心がくすぐったい気持ちになるから。至極あたりまえなことですが、僕は別に平凡な学生なのです。もし本当に“何かをかなえたい意志” があるのであれば、全身全霊、誰に何を言われようと突っ走れたら素敵だと思っていたから。平凡な自覚があるのであれば、誰にも負けない努力を重ね、そしてつかみきって帰れこれるような1年間を目指していました。でもまだまだ自分も大したことがない、それは自分が一番自覚しているので努力します。
ここまでして掴んだ留学生活ですが、その留学生活自体もやっぱり「修行」の意味合いも強かったと思います。何の実績もない、まだ学部生だった僕を受け入れてくれたRice大学は、世界最高峰のリサーチ大学。もちろん最初は何もできず、英語もよく分からずそれこそ「何しに来たんだろう」状態で未熟さをひしひしと感じる毎日でした。アメリカではプロジェクト単位で研究が進み、スピード感も凄まじいものがあります。進捗報告ミーティングだって週2回あり、初めはついていけないことがしばしば。研究の進め方としては、プロジェクト単位であることから常時誰かと連絡を密に取り合い、仕事を進めていく必要があります。熟練の技術を持つ周りのPhD学生にいつも助けられながらも、必死にもがき苦しみ、要領悪いながら朝から晩まで、時には朝から朝まで、測定を行いました。
季節が巡り春になり、半年が過ぎました。そこそこ難しい測定も行えるようになるものの、学術論文クラスの面白い現象は見当たらない。イマイチインパクトに欠ける…。そして蒸し暑い夏が訪れ、8か月が過ぎたころ。新しいプロジェクトに手をかけて1か月でした。ふとした拍子にある実験に成功。追実験を重ねるにつれ、山のように新事実が明らかになりました。それは世界の誰も見たことのない現象でした。
……。。
ついにかなえることができました。
真面目に毎日論文を読み勉強しているので、この結果がどれだけインパクトを与えるかは修士1年生でまだまだ未熟な僕だけれど、少なからず分かっていたつもりです。そして教授の先生が大きな声を出して驚く姿を見て再認識しました。以降、死に物狂いで様々なアプローチを自分なりの方法・アイディアで実現して、失敗もあったものの当初の何十倍も面白い結果になったと思います。教授の先生もアップデートするたび驚くような不思議な結果でした。
扱っていたのはグラフェンという今流行りの物質。つまり非常にCompetitiveな分野なわけです。2004年にグラフェンの存在が明らかになり、十数年。以降、多くの研究者の方々が必死になって測定を行い、大方の物性は学術論文として世に発表されてきました。だからこそ、この測定結果は非常に重要な意味を持つはずです。偶然の見つけた結果ではあるのだけれども、これを見つけるためには数えきれないほどのトライアンドエラーがあって。だからこその発見であるから、1年間自分がやってきたことには絶対的な自信があります。まだ未発表の結果なのでこうやって、もやもやっとしたことしか書けないけれども、これからの数か月間理論の先生方との打ち合わせをし、執筆。そしてNatureやPRLなど、高IFを持つ学術誌にAcceptされた暁には、自信を持って「夢をかなえることができた」と言いたいと思います。インド、中国、アメリカ、日本の国際共同研究プロジェクト(こうやって書くと何だかかっこよく見えちゃいますね…笑)をこれから数ヶ月で、必ずや成功に導きます。今は不安の気持ちもあるけれど、夢をかなえた先にはどのような感情が待っているのだろうか。最初に感じる感情が“周囲への感謝” であればいいな。そう願っています。
4.
10か月の留学生活を通じて、異文化に対する考え方もずいぶん変わってきました。いろんなバックグラウンド(例えばここでは,宗教,食生活,ワークスタイル,言語,としましょう)を持つ人たちと実際に研究プロジェクトをこなしたり、1つ屋根の下で生活したりする中で苦しいこともたくさんありました。例えば、時間にルーズさをひしひしと感じることがありました。メールへのリスポンス、生活スタイルが全く違ったり、そんなこともたくさん感じました。最初は「あれっ…?」って違和感に感じてストレスになることもありました。
でも途中で気づきました。
「自分がこうやって彼ら彼女らにカルチャーショックを感じてしまうということは、彼ら彼女らも自分に対して感じているよねきっと」
それまでは一方通行的な考え方ものだったのかもしれません。それ以来、異なるバックグラウンドからくる考え方の違い、生活,仕事スタイルの違いからストレスを感じることはなくなりむしろ楽しくなった気がします。
そして最終的には「異文化を異文化と感じなくなる」ここまでこれたらきっと素敵だなあっと思っていました。結局は同じ人間。英語を使えばコミュニケーションは可能。悲しむときは悲しみ、楽しいときは声を上げて一緒に笑う。誰か嬉しいことがあったらみんな自分のことのように喜ぶ。こういった、ちいさいけれど素敵な経験を、家族のような仲間たちと何度も積み重ねることで、””バックグラウンドの違いからくる壁””なんてないんだなと感じられるようになりました。もしかしたら、これが留学生活で得たものの中で一番大きく、大切で、今後一生大切にしていきたい感覚かもしれませんね…。これが僕らの学生の目指すべき『グローバル化』なのではないでしょうか。「世界が平和でありますように」って言ったら、「お花畑思考」とか揶揄されたりすることもあるのですが、強大な国家でも結局は1人1人の集合体。国家間の関係だってひも解いてみたら1人1人の関係の集合和。みんなが「異文化を異文化と感じなくなる」ようになったら争いごともなくなるんじゃないかな…僕はそう信じて今日も明日も世界のいろんな国の人たちと関係を築き続けるつもりです。
5.
ここまで読んでいただきありがとうございました。
北太平洋上空。アラスカを越え、現在カムチャッカ半島上空にいます。あと1時間後には札幌上空を通過、そして経由地のソウルに着きます。
滞在最終日は本当に波乱の連続でした。
家の鍵をポケットの中に入れたままズボンを洗濯してしまい、ぶっ壊してしまいました。もちろん鍵も取り出せません。そしてなんと乾燥機にかけた洗濯物を取り出すことなく飛行機に乗ってしまいました。スーツケースにいれるのをすっかり忘れていました。残念ながら持ってきた洋服の半分を失なったことになります…笑。もう本当に自分らしいというかなんというか,…。初めてのひとり暮らし(正確にはルームシェアですが)をしてみて分かったのですが、ティッシュを洗濯機に入れたときの絶望はすさまじいものがありますね。だいたい2回(/月)くらいの頻度でティッシュを洗濯してしまっていたのですがこの癖はどうやら直りそうにないですね。。笑
さて、これから数か月はまだまだ大変なことがたくさんありそうです。
論文執筆は容易ではないですね…。こういった作業を日々行っている研究者の方々、本当に尊敬に値します。これからが勝負でもあります。大変ですが、でも今は研究の楽しさを目いっぱい感じています。これも、僕を受け入れてくださった先生方、家族、友人、応援してくれた北大の先生方、トビタテ事務局の方々、支援企業の方々のおかげ。こんな素敵な経験をさせていただき、心から感謝しております。
最後に僕が留学生活で撮ったベストショットたちを挙げてこの記事を終えたいと思います。
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続きます