"Reap the harvest" 〜すべてを終えて思うこと〜

 恐縮ながら2つ、報告させていだきます。

 

 米国留学時代の研究成果が、アメリカの国際学術誌 ACS Photonics (American Chemical Society) に受理・掲載されました。また、FNTG51 (The 51st Fullerrenes-Nanotubes-Graphene General Symposium)にて学会発表を行ったところ若手奨励賞をいただきました。

http://www.eng.hokudai.ac.jp/graduate/news/prize/?file=4573

 

“Giant Terahertz-Wave Absorption by Monolayer Graphene in a Total Internal Reflection Geometry“ ACS Photonics, 2017, 4 (1),pp 121–126, Y.Harada et al,

http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/acsphotonics.6b00663

 

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 My publication as a first author has been published to ACS Photonics (American Chemical Society), and resulted in the Young Scientist Award of FNTG51 (The 51st Fullerrenes-Nanotubes-Graphene General Symposium).

 

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 研究分野は、グラフェンの物性測定。炭素原子(C)一層で構成されるグラフェンは2007年に発見、ノーベル物理学賞を受賞された物質です。特異な性質が故、世界の研究者がこぞって研究してきた分野で大方研究され尽くされてしまったとも言われています。だからこそ、こうして新たな物性が明らかになったことには意味があると私は思っています。と同時に、国際学術誌執筆、学会賞受賞というプロフェッショナル界からの承認を2ついただくことで、自信にもなりました。また、理論計算との一致も論文執筆の後押しになりました。協力してくださった方々には心より感謝しております。

 

 

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1. ただ一方で、留学生活は困難ばかりだったように思えます。

  自分の中でこの留学にはこだわりがあって。たった1年の留学生活、しかも世界トップクラスの研究大学に”研究者として”行って何ができるんだ、というお声も多く頂く中、身の程知らずの僕の目標は、「論文発表して世界に発信すること」。修士1年が1年間という短期海外滞在で論文を残すことは非常に困難を極めるし、その大変さは重々承知していました。しかし、幼いころからの夢なので、絶対にやってやるという強い想いは確かにありました。

 

  ““大きな志を胸に、アメリカに渡ったものの、待ち受けていた現実に直面して足がすくむ毎日でした。何にもできないんです。本当になにも””

 

 あれだけ英語を勉強したけれどもミーティングの内容が何一つ理解できない。だからこそ発言もできない。そもそも研究の知識がないから、ディスカッションができない。チームを組んでプロジェクトを進めないといけないのに、どうやって声をかけたらいいかわからない。

 

 でもやっぱりあきらめたくない。どうしたらいいか毎日毎日、ずっとずっと、考え悩み続けました。短絡だけれども辿り着いた答えは、試行回数と質を上げるということ。誰よりも不器用で経験不足な分、同僚の4倍も5倍もトライアンドエラーを重ねるしかない。その一心で続けていました。

 

 そうやって膨大な時間を費やしてながら懸命に取り組んでも本当に何ひとつ結果なし。7ヶ月、210日もの間続きました。失敗し続けても根拠のない自信で自らを鼓舞するしかありませんでした。最新鋭の設備、共同研究のチャンス、優秀な同僚、環境が素晴らしかっただけに本気で悔しかった。どれだけ意気込んでいても、膨大な時間を費やしても結果が出ないその現実と向き合う必要がありました。自らの無力さにもうダメ無理だと感じ、諦めが確信になり始めた8ヶ月目、2016年3月。

 

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2. 教えてくれたのはまたも父でした

  僕の人生において、”ここぞ”というときに的確なアドバイスをしてくれる人。世界で一番尊敬している私の父です。今度は自らの死をもって僕に伝えてくれました。あまりにも突然の知らせを聞いて、大急ぎでビザと航空券の手配、関係各所への連絡をして飛行機に乗り込みました。「自分はアメリカに来て何をやっているんだろう」。飛行機の中で、自分が留学した意味を何度も何度も何度も再考しました。気丈に振舞ってはいたものの悲しさは想像以上だった。でもそれ以上に、大仰にアメリカまで来たというのに何もできない自分に対して怒る気持ちが、あまりにも強かった。

 

 考えてみれば、自分がアメリカに来た理由は父親なんです。時は遡り小学1年生のころ、頑張って取り組んだ自由研究で葉っぱの形態に関する発表をして入賞。それからサイエンスへの興味が強くなる僕に、月の満ち欠け、植物の名前、天気の移り変わり…一生懸命教えてくれたんです。図書館でたくさんの本を借りて読んでいた僕に、父が言った言葉、「要一、アメリカで研究したらどうか?」。あれが全てのきっかけであり、以来の”夢”だった。この夢は、潜在的なものででてくることはなかったけれども、心の奥底にありました。

 

 そういった”内なる意思”に気付いたときから再出発は始まった気がします。1週間の日本滞在を終えて、米国に再入国。その後はある種の”フロー状態”でした。朝から晩まで、ときには朝から朝まで取り組む毎日でした。身体と心を気遣う周囲の声が聞こえなくなるまで没頭しました。恥ずかしながら、流動食しか食べれない日々が待ち受けていましたが、間違いはなかったと思います。

 

 米国に再入国して2ヶ月が経ちました。そんなある日、普段通り実験をやっていたらいつもと違う結果を得ました。とにかく先生に見せたい一心でスライドにまとめて、報告しました。その後、入ったメールが「この結果が本当なら必ず論文にできます。たくさん実験してください」という一文。ようやく報われた…。その日の空の色は、不思議といつもより青く透き通っていて、いろんなことが走馬灯のように蘇り、たった一人涙した記憶があります。夢が近づいた気がした、そのとき最初に感じた感情は “周囲への感謝” でした。ようやく”研究者として”の留学が始まりました。

 

 一方で帰国までたったの2ヶ月。普通に考えたら論文にまとめるにしては短すぎる期間。何もかも忘れて2ヶ月間死に物狂いで突っ走りました。そして帰国前日7月6日の夜にようやくすべてが終わり、それから数時間で慌てて帰国の準備。実験結果の解析は飛行機の中でしました。すべてがギリギリの日々。でもここでもまた新たな成果が出ました。

 

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"Reap the harvest"

 

 あの悲しい出来事があってからいろんな人にこのフレーズを言われました。大好きな言葉です。あのときの出来事がなかったら今はないのかもしれない。大きな夢風呂敷広げ、アメリカに渡ったのですがもうすこしで叶えられるかもしれない。そう思い始めた7月。結果として、理論・製法・実験それぞれの大御所の先生方と共著者8名で協力しながら論文を執筆することになりました。

 でもやっぱり、筆頭著者として学術論文を執筆することは想像以上に大変で大変で…アイディアを世に公表する苦しみと楽しさの両面を味わいました。こんなにも多くの困難が待ち受けているなんて思いもしませんでした。執筆過程でデータの信ぴょう性に不安になったこともありました。でも研究においては謙虚や不安は”罪”。この結果には価値があると自信持って言えるし、1年間アメリカでやってきたことと自らのデータに自信持って議論できたと思っています。最終的にはこうやって努力が認められ…留学前思い描いていた目標を最高の形で達成することができ、嬉しい限りです。

 

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3. 人生ってきっと小説のようなものだと思っています。 

 自分という主人公が登場する小説があって。日々、いろんな出来事・決断を経験しながら生きていく。でもよく考えてみると、独立しているように見えるそれぞれの事象(点)には、インサイト(内なる意志)が隠されている。そのインサイトをもとに、「これを成し遂げたい!」と考え実行していく。そうやって、点が線(ストーリー)になって行動し続ける人は一貫性があり、憧れます。人生そのものが “小説” のようです。ずっとずっと、そういう人になりたくて。まさに父親がそんな存在で。心から憧れて、日々がむしゃらに行動していました。

 

 例えば、「頑張ったけれども何にも成し遂げられなかった…」そんな小説でも自分は必ず誇りに思うはず。それが自分の内なる意志に基づいていれば、プロセスは誇りに思っていいんじゃないかな。取って付けたような承認欲求ではなく、内なる意志であれば次に活かすことも容易だと思うんです。

 

 先日、僕の仲良い友人が「何をやっても上手くいかない。失敗だらけでもう嫌になる」と泣きながら言っていました。僕はその子の日々の頑張りを知っていたし、確固たる夢を抱いて行動している姿を見ていた。だからこそ、いつも以上に心にくるものがあった。アメリカでの苦しい日々を経験する前は、そこまで感じなかったのかもしれない。でもやっぱり今は、一貫した信念持って頑張る人を見ているといつも以上に感情が動く。”ありのままで大丈夫、なんとかなるよ”と言ったのだけれど、アメリカでの生活を終え、ちょっとだけ成長した今だからこそ、少しだけ説得力を持って言えたかな。

 

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4.留学という”選択肢”

 20代の1年間ってなににも変えられないくらい大切な時期。若いが故に目に見えるものすべてが新鮮で、若く多感な心を刺激すると思うのです。なんの取り柄も才能もない自分が、優秀な人たちに囲まれて劣等感に苛まれながら研究に没頭したのも良い経験だった。なんにも持っていない未熟な自分が、どうやって生き抜くかひたすら考え続けた毎日でした。そうやって、勇気振り絞ってあまりにも貴重な1年を留学に費やしたけど、それだけの価値はあると信じています。

 

 そして今思うこと。これは、本気で成し遂げたいのだけれど『”海外行くことがすごい”という風潮をぶち壊したい』。この国には少なからずそう言った風潮があるかもしれません。その人にとって、真剣にやりたいことがあったら、”気楽な気持ちで” 海外を選択肢に入れられるようになれれば素敵ですよね。短期留学でも,ちょっとしたバックパックでもいい、周囲に小さなことと思われても、揶揄されても ””その人にとって”” 大きな一歩を踏み出せるようなキッカケを作るべく北の大地で奮闘しています。

 

 

 昨今、「留学すれば視野が広がるよ!」「グローバル人材への一歩!」など陳腐な言葉が溢れる世の中ですが、「自分の意志・夢を持って実行に移した留学」に至っては、言葉にできない価値があると私は考えます。もし何か行動したいという思いが心の奥底で燻っているのであれば、とってつけたような自己顕示欲ではなく、考え抜いた先に辿り着いた自らの"内なる意志"に基づいて留学計画を立ててみてください。そうすればきっと思いもよらぬ発見があるかもしれません。

 

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5. さいごに

  僕の場合、「生き急いでいる」とかよく揶揄されるんです。でも、こないだある人が『きっと、君は ”有限の命の価値” を知っているんだよ』って言ってくれたのはとっても嬉しかったし、涙出そうになりました。その”有限な生”の中で、アカデミアの道で業績を残せたこと、自信にしたい。でも決して傲慢にはなりたくない。絶対に。アメリカでの経験は、次なる飛躍に役立てるためにあくまで内に秘めたものにすべきだと考えています。一旦リセットして新たな一歩を歩みます。

 

 ただ一方で、僕の経験を発信することで、誰かの小さな一歩につながればと考えております。身分に合わず発信しましたが、僕はまだまだ未熟。それは自分が一番よくわかっているつもりです。何年後かに会えるかもしれない僕の子供に誇れる ”カッコイイ大人” になるため。そのために不器用な青二才はこれから泥臭く努力を重ねたいと思います。

  

 ここまでお読みいただき、本当にありがとうございました。

 

(宣伝になって恐縮ですが、4月中旬にとある本が出版されます。友人が書いた本で、自分の内なる意思を考えるきっかけになる非常に良い本だと思います。その一節に、僕のアメリカでの生活、想い、これから、などが掲載されています。興味ある方は、ぜひ読んでみてください)

 

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306日目 今考えること

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1.

「本当に終わってしまったんだなあ…」

あと2時間もすればこのヒューストンを出ます。

 

初めは馴染めなかったこの街も今となっては故郷の一つのよう。

10か月も過ごして、考え方も、文化も生活も、アメリカに染まった今、「日本に帰る」のではなく、「"日本”という国に行く」という感覚になりました。そしてこれから行く“日本という国” はどうやら素晴らしい国だそうです。街は綺麗で、安全で、夢や家族のために懸命に働くひとたちがいっぱいいる…、そんな素敵な国。周りの人がそう言っていました。これからそんな国に向かいます。今はとっても寂しいけれど、新天地であるその“日本” でまた新たな夢を追いたいと思います。

 

思い返せば、この10か月いろんなことがありました。たかだか10か月、されど10か月。僕にとっては長くもあり、短くもありました。これまでの22年間と全く違う環境で過ごしたことから時間の感覚も何だか不思議です。2年も3年もいたような感覚だけれども、経過したのは約1年。僕がいてもいなくても、日本の家族,友人の間では同じく1年が経過している。暑さの和らいだ去年9月に出発し、季節は巡り巡り、今は7月。みんなにとっては1人の友人と1年間会えなかった、ということになりますが、僕にとっては何十人の友人と1年間会えなかった、多くの交友関係に空白期間があった、ということになります。みんながどんな反応するのだろう、まだまだ何かと弱かった出発前に比べて成長したのかどうなのか…。心配でもあり、楽しみでもあります。

 

 

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2.

ヒューストンをこれから旅立つ今の気持ちは、やっぱり「寂しい」。こんな僕でも、みんな仲良くしてくれて、家族のように温かく、そして辛いときも寄り添ってくれました。留学中の3月末に父を亡くし、精神的にも体力的にも限界状態を迎え、恥ずかしながら拒食症を発症してしまった5,6月。そんなときに支えてくれた素敵な仲間がいっぱいいた。こんなに素敵な人たちと交友関係を築けたこと、ずっとずっと誇りに思っていた。彼ら彼女らにもう会えない、受け入れがたい、辛い現実です。

 

なぜこんなに辛いか。残念ながら「留学先での出会い」っていうのはやっぱり一度きりになってしまうことが多いのです。同じくvisitingで来ている仲間たちやメディカルセンターで働く人たち、そしてRiceで学ぶ学部生PhD学生、Internationalな学生は数か月もしくは数年したら母国に帰りそれぞれの道を歩みます。「I hope to see you again!(また会える日を楽しみにしているよ!)」とみな最後にあいさつを交わすのですが、誰もが分かっています。これが最後の出会いということを。

 

年を重ねるにつれ、こういった “寂しい”といった気持ちを強く感じるようになってきた気がします。感情の変化かもしれません。他にも、何かに楽しさを感じること、苦しいことを目いっぱい苦しむこと、悲しいときはありえないほど悲しむこと、そういった感情をちょっぴり大げさに感じるようになってきました。特に、3か月前の悲しい出来事があって以来。その自分の中のちょっとした変化が僕はうれしいです。

 

なぜかというと、僕は「感情に素直な人」が人間的に好きだから。

「感情的な人」というと、ちょっぴり負の側面にフォーカスした表現ですが、そうではなく、『感情に素直な人』。
例えば、何か新しいことを始めようとしたときに「それ面白いね!!」って目をキラキラさせて言ってくれ、ワクワクを表現してくれる人。例えば、自分が本当に苦しんだり悲しんだりしているときに一緒に悲しんでくれる人。きっとそういった人たちが、周囲の人を惹きつけて、世の中にプラスの変化を与えていくのだと僕は思います。そんな素敵な人たちに少しでも近づくこと、これも人生の大きな目標です。

 

ここまで、留学生活で変わった「感情面での変化」を書いてきました。次は、アメリカに来るようになったきっかけなどをお話しできたらと思います。

 

 

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3.

アメリカにきた “きっかけ” をじっと考えたとき、幼いころにまでいきつきました。

 

幼いころから、自然や宇宙が好きで、「ぼく、将来は立派な研究者になるんだ!」って夢を見て、そうやって父や母に伝えていました。そして、小学校1年生のときの「自由研究」で賞を取って幼いながら自信になり、そこからずっとずっと研究者になることが夢…。研究の傍ら英語英語…そんな毎日。毎朝4時から4時間勉強するも、ただやっぱり不器用だったため、iBT8回、IELTSを2回も受けました。受験料計25万円。それでも基準点に達することなく交換留学受け入れが破棄。そんな中でRice大学は僕を受け入れてくれました(Riceは高い英語力を求めないこと,積極的に受け入れてくれる先生がいることが幸いしました)。オファーを送ったどこよりも最高の環境だと思っています。そしてトビタテも何とか合格(おそらく2期生で一番下だと思っています)。非常にありがたいことに、資金的な面での不安が消えました。

 

こうやって、きつかったこと失敗したこと書くのは、「あいつアメリカに行った、すげえ!」ってなると、心がくすぐったい気持ちになるから。至極あたりまえなことですが、僕は別に平凡な学生なのです。もし本当に“何かをかなえたい意志” があるのであれば、全身全霊、誰に何を言われようと突っ走れたら素敵だと思っていたから。平凡な自覚があるのであれば、誰にも負けない努力を重ね、そしてつかみきって帰れこれるような1年間を目指していました。でもまだまだ自分も大したことがない、それは自分が一番自覚しているので努力します。

 

ここまでして掴んだ留学生活ですが、その留学生活自体もやっぱり「修行」の意味合いも強かったと思います。何の実績もない、まだ学部生だった僕を受け入れてくれたRice大学は、世界最高峰のリサーチ大学。もちろん最初は何もできず、英語もよく分からずそれこそ「何しに来たんだろう」状態で未熟さをひしひしと感じる毎日でした。アメリカではプロジェクト単位で研究が進み、スピード感も凄まじいものがあります。進捗報告ミーティングだって週2回あり、初めはついていけないことがしばしば。研究の進め方としては、プロジェクト単位であることから常時誰かと連絡を密に取り合い、仕事を進めていく必要があります。熟練の技術を持つ周りのPhD学生にいつも助けられながらも、必死にもがき苦しみ、要領悪いながら朝から晩まで、時には朝から朝まで、測定を行いました。

 

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季節が巡り春になり、半年が過ぎました。そこそこ難しい測定も行えるようになるものの、学術論文クラスの面白い現象は見当たらない。イマイチインパクトに欠ける…。そして蒸し暑い夏が訪れ、8か月が過ぎたころ。新しいプロジェクトに手をかけて1か月でした。ふとした拍子にある実験に成功。追実験を重ねるにつれ、山のように新事実が明らかになりました。それは世界の誰も見たことのない現象でした。

 

……。。

 

ついにかなえることができました。

真面目に毎日論文を読み勉強しているので、この結果がどれだけインパクトを与えるかは修士1年生でまだまだ未熟な僕だけれど、少なからず分かっていたつもりです。そして教授の先生が大きな声を出して驚く姿を見て再認識しました。以降、死に物狂いで様々なアプローチを自分なりの方法・アイディアで実現して、失敗もあったものの当初の何十倍も面白い結果になったと思います。教授の先生もアップデートするたび驚くような不思議な結果でした。

 

扱っていたのはグラフェンという今流行りの物質。つまり非常にCompetitiveな分野なわけです。2004年にグラフェンの存在が明らかになり、十数年。以降、多くの研究者の方々が必死になって測定を行い、大方の物性は学術論文として世に発表されてきました。だからこそ、この測定結果は非常に重要な意味を持つはずです。偶然の見つけた結果ではあるのだけれども、これを見つけるためには数えきれないほどのトライアンドエラーがあって。だからこその発見であるから、1年間自分がやってきたことには絶対的な自信があります。まだ未発表の結果なのでこうやって、もやもやっとしたことしか書けないけれども、これからの数か月間理論の先生方との打ち合わせをし、執筆。そしてNatureやPRLなど、高IFを持つ学術誌にAcceptされた暁には、自信を持って「夢をかなえることができた」と言いたいと思います。インド、中国、アメリカ、日本の国際共同研究プロジェクト(こうやって書くと何だかかっこよく見えちゃいますね…笑)をこれから数ヶ月で、必ずや成功に導きます。今は不安の気持ちもあるけれど、夢をかなえた先にはどのような感情が待っているのだろうか。最初に感じる感情が“周囲への感謝” であればいいな。そう願っています。

 

 

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4.

10か月の留学生活を通じて、異文化に対する考え方もずいぶん変わってきました。いろんなバックグラウンド(例えばここでは,宗教,食生活,ワークスタイル,言語,としましょう)を持つ人たちと実際に研究プロジェクトをこなしたり、1つ屋根の下で生活したりする中で苦しいこともたくさんありました。例えば、時間にルーズさをひしひしと感じることがありました。メールへのリスポンス、生活スタイルが全く違ったり、そんなこともたくさん感じました。最初は「あれっ…?」って違和感に感じてストレスになることもありました。

 

でも途中で気づきました。

「自分がこうやって彼ら彼女らにカルチャーショックを感じてしまうということは、彼ら彼女らも自分に対して感じているよねきっと」

 

それまでは一方通行的な考え方ものだったのかもしれません。それ以来、異なるバックグラウンドからくる考え方の違い、生活,仕事スタイルの違いからストレスを感じることはなくなりむしろ楽しくなった気がします。

 

そして最終的には「異文化を異文化と感じなくなる」ここまでこれたらきっと素敵だなあっと思っていました。結局は同じ人間。英語を使えばコミュニケーションは可能。悲しむときは悲しみ、楽しいときは声を上げて一緒に笑う。誰か嬉しいことがあったらみんな自分のことのように喜ぶ。こういった、ちいさいけれど素敵な経験を、家族のような仲間たちと何度も積み重ねることで、””バックグラウンドの違いからくる壁””なんてないんだなと感じられるようになりました。もしかしたら、これが留学生活で得たものの中で一番大きく、大切で、今後一生大切にしていきたい感覚かもしれませんね…。これが僕らの学生の目指すべき『グローバル化』なのではないでしょうか。「世界が平和でありますように」って言ったら、「お花畑思考」とか揶揄されたりすることもあるのですが、強大な国家でも結局は1人1人の集合体。国家間の関係だってひも解いてみたら1人1人の関係の集合和。みんなが「異文化を異文化と感じなくなる」ようになったら争いごともなくなるんじゃないかな…僕はそう信じて今日も明日も世界のいろんな国の人たちと関係を築き続けるつもりです。

 

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5.

ここまで読んでいただきありがとうございました。

北太平洋上空。アラスカを越え、現在カムチャッカ半島上空にいます。あと1時間後には札幌上空を通過、そして経由地のソウルに着きます。

 

滞在最終日は本当に波乱の連続でした。

家の鍵をポケットの中に入れたままズボンを洗濯してしまい、ぶっ壊してしまいました。もちろん鍵も取り出せません。そしてなんと乾燥機にかけた洗濯物を取り出すことなく飛行機に乗ってしまいました。スーツケースにいれるのをすっかり忘れていました。残念ながら持ってきた洋服の半分を失なったことになります…笑。もう本当に自分らしいというかなんというか,…。初めてのひとり暮らし(正確にはルームシェアですが)をしてみて分かったのですが、ティッシュを洗濯機に入れたときの絶望はすさまじいものがありますね。だいたい2回(/月)くらいの頻度でティッシュを洗濯してしまっていたのですがこの癖はどうやら直りそうにないですね。。笑

 

さて、これから数か月はまだまだ大変なことがたくさんありそうです。

論文執筆は容易ではないですね…。こういった作業を日々行っている研究者の方々、本当に尊敬に値します。これからが勝負でもあります。大変ですが、でも今は研究の楽しさを目いっぱい感じています。これも、僕を受け入れてくださった先生方、家族、友人、応援してくれた北大の先生方、トビタテ事務局の方々、支援企業の方々のおかげ。こんな素敵な経験をさせていただき、心から感謝しております。

 

最後に僕が留学生活で撮ったベストショットたちを挙げてこの記事を終えたいと思います。

 

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224日目 Houston Japan Festival

研究のために留学した僕がアメリカで,
研究と同じくらい大切にしていること

「文化の良さを一緒に見つけていくこと」

例えばそれが日本であるとき。日本にちょっとでも興味ある人に,そっと寄り添ってこんなものだよ,と見せてあげられる。教えてあげられる,そして一緒に勉強していく。

そんな存在になるのが留学生活の,
小さくも,胸に大きく秘めた目標の一つです。

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4/16,17にヒューストン最大の日本フェスティバル Houston Japan Festival が開催されました。世界中から人が集まる国際都市ヒューストン。そのど真ん中 HarmanParkにて,北大祭よりちょっと小さく,でもダイバーシティは無限大。そんなとっても魅力的なイベントに,Rice大学として出店してきました。本当に光栄です。


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内容は「書道(calligraphy, shodo)」。
Riceの日本語クラスの学生と協力して,

・書道具の使い方を簡単に教えて,一緒に文字を書く
・名前を書いてあげてプレゼント
・短冊に願い事("Your wish")を書いてもらい,竹に括り付け,(ちょっぴり早い)七夕

こういったお店にしました。参加費無料。一緒に体験しよう,そして楽しもう,というスタンス。ざっと1000-2000人くらい,本当にたくさんの人が来て,書道を体験してくれました。


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自分の名前の日本語表記を見て喜ぶ姿,初めての書道に真剣なに取り組む姿,照れくさそうに七夕の短冊を書く姿,

本当に文化は人を繋げるんだなあって。

そして,
ここでの会話の中で,頻繁に日本の地震を気遣う声が多く聞かれました。根っからの九州男児であることから,最近日本のニュースを見ては心を痛める日々でした。そんな中で,たくさんの人が気遣ってくれて,そんな声を聞くことができるのも,とっても素敵な経験ですよね。たくさんの人の温かさにとってもほっこりしました。

残りわずかの留学生活,
また何かできたらいいなあ,,,

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204日目 "再出発”のとき

【”再出発”のとき】

アメリカに来てから半年が経ちました。

ご存知の方もいるかもしれませんが、大切な人の死により失意の 緊急一時帰国 をし、留学先のヒューストンを離れ5日間札幌に滞在。新たな気持ちを胸に 再出発 を誓いました。

これまでの半年の留学生活、一時帰国、日本での短い滞在について綴ります。

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”留学生活はまずまず順調です”

留学といえど、一般的に想像されるような講義を受けて試験を受けて単位を取って…というものではなく、僕の場合は完全に研究に特化した留学なのです。研究経験浅く,何するにも不器用な僕ですが、ありがたくも実際にRice大学の研究室に所属させていただき、こっちの大学院生と一緒に日々研究を行っています。

アメリカで実際に研究活動に従事して最初は驚きの連続でした。プロジェクト単位で進んでいく研究。共同研究の多さ。仕事のスピード感。朝から晩までの実験の日々。プロジェクトでは修士1年でも大きな裁量が与えられること。求められる実験精度の高さ。最新鋭の実験装置。

ついて行くのが精一杯で、タスクや実験が終わらず徹夜してしまう日もしばしば。本当に素晴らしい環境なので一分一秒無駄にしたくない…もっと僕の要領が良ければな…と両者の感情の狭間で、悔しさを感じるときもあります。そんな中でも、Riceでの研究を学術誌に投稿する日を夢見て日々試行錯誤です。僕を受け入れてくださった教授の先生はもちろん、ディスカッションに付き合ってくれる研究室のPhD学生、共同研究者の方、支えてくれるヒューストンの先輩,友達に感謝感謝の毎日です。恐縮ですが、彼ら彼女らのお陰で僕にとって贅沢なくらい恵まれた環境で,本当にいい経験をさせてもらっています。


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”日本という国”

留学経験して帰ってきた人の多くは、海外の良さに気付き、次のステップ(照準)を海外に定めます。僕もそうなるのかなあ、と漠然と思っていました。この半年間、いろんな経験をして日々考えました。

やっぱり僕は、日本が好きでした。

トビタテもそうだし、今回の留学受け入れも将来的なキャリアプランを海外に向けるための意味合いが強いと思います。留学当初は、「海外の大学院いいなあ…」「外資系の企業とか憧れる…」というように実力不相応にちょっぴり視線が斜め上を向いていました。ただこうやって半年間の留学生活を経験して、今回のショックな出来事も影響して、将来は日本に尽くすことに決めました。

何でだろう、ただ単に日本食が恋しいから?アメリカは自由すぎるから?自分が日本人であるから?日本に憧れる学生が多いから?…どれも僕にとって正解な気がしますが、やっぱり理由は今の所分かりません。きっと深層心理、直感的,感覚的なものから来るのかもしれません。帰国までにもやもやっとしたこの感覚を言葉にできるようになればいいな。

短絡的な自己肯定になってしまいますが、きっとこのように,結果的に思考が国内に向く留学も,海外での経験を日本に取り入れるという観点から,あっても良いんじゃないかなあと信じています。


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”こんなに素敵な体験をみんなにも”

僕の切なる願いです。自分の話になって恐縮ですが、高校のときは3駅離れた札幌駅に行くことですら”大冒険”、大学2年で先輩と東京へ旅行に行くってなったときは防犯ブザーを2つ持って行きました。大学3年生20歳の時に北大の研修プログラムFSPで初めて東南アジアに2週間滞在したことが ”大きな転機” となり、以降長期留学を夢見て英語の勉強に取り組み、英語力未完成ながらも単身アメリカに渡りました。来るまでは120%ドメスティック人間だったのです。

きっと大学生誰しも1度は憧れる、”留学ってもの” は遠い存在ではないのかもしれない。トビタテもそう、TOMODACHIプログラムだってそう、海外にちょっぴり目が向いた人たちへの支援は最近本当に増えてきています。こういったプログラムを推進し,何とか留学を身近なものに…するにはどうしたら良いだろうと悶々と考える毎日です。

留学する人は優秀な人たちばかりで膨大なお金がかかる…そんなイメージを払拭できるのは、大学2年生まで海外の"か"の字もなく,家庭事情から留学資金を持ち合わせていなかった、僕なんじゃないかなあと思います。

北大の全ての学部生,大学院生計2万人にとって、これまでの海外経験如何に関係なく、海外が身近になるような、行きたいけど行動に移せず悶々とした日々を送っている人たちにそっと手を差し伸べられるようなイベントがあれば…。経験者が海外生活の辛さも厳しさも楽しさも隠さず全て伝えて、共有できたら素敵だなあって。

そしてそのイベントを機に、誰かたった1人でも、そして短期留学でも,ちょっとしたバックパックでもいい、周囲に小さなことと思われても、揶揄されても ””その人にとって”” 大きな一歩を踏み出せるようなキッカケになれば本望です。




最後に…
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”大切な人の死”

きっとこれからの人生のターニングポイントになると思います。少なくともこの23年間生きてきて1番の衝撃でした。根っからの父親っ子だった自分にとって一生忘れることはないと思います。

同情されるのが苦手で多くの人に秘密にしていた事実があります。僕が13歳の時に、世界で1番大好きで尊敬していた父が大きな病に倒れ、今まで10年間、昏睡状態を余儀なくされていました。その10年間、2度生死を彷徨うも、ずっとリハビリを頑張ってくれました。留学終えアメリカから帰国し、父母に立派になった姿を見せてあげることが、実は僕の留学の,紛れもなく1番の目的だったのです。

帰国まで残り数ヶ月だったのです。きっと僕の帰りを待つべく身体の異変と一生懸命闘ってくれてたのだと思います。3月20日、いつも通り朝5時に起きて見たメールボックスには、あまりにも突然の悲しい知らせがありました。最期に居合わせることは出来ませんでした。

考えられうる最速の便に乗り,ただ不運にもANAのシステムトラブルで大幅に遅れ帰国しました。お通夜,葬儀などを済ませ、今ヒューストンに向かうべく太平洋上空で文章を書いています。

こんなときに再度アメリカに向かうこと、気丈に振る舞ってはいるものの、辛さはもう想像以上でした。あまりにも突然だった。でもここで立ち止まっていてはいけない、感情の全てを押し殺し歯を食いしばり,涙を流しながら、ヒューストンへの便に乗りました。

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僕は同情してもらうことが(もちろん気持ちに寄り添ってくれてるという点では心からありがたいですが)、実はちょっぴり苦手なのでこういうこと書くのはとっても躊躇いました。もしかしたら批判もあるかもしれない…小さな勇気振り絞って詳細に書いてまでお伝えしたいことはたった一つ。たった一つだけ。

「大切な人との別れは,想像しているより少し早く,もしくは突然やってくる」

本当に,残酷なまでにこの世は無情なのだと思います。親でも友人でも恋人でもどんなに大切な人でも明日も会える保証はない。大切な人の ”その時” が来るのは、今日かも明日かもしれない。留学中かもしれない。誰もが周りの大切な人に感謝の気持ちを伝え続けれると、来たる ”その時” の後悔を少しでも減らせるのではないでしょうか。遠くの田舎に住む,じいちゃんばあちゃんに久しぶりに電話してみてはどうでしょうか。僕もこれからはこまめにそうしよう。そんな小さな,ちょっとした優しさ溢れる素敵な世の中になればいいな。

これもまた、本望です。



さて、ヒューストンに着きました。こちら午前11時。Riceに向かいます。新しい留学生活の始まりです!

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3日目 南三陸 “住民の方々のスピリッツ”

女川の民宿を6時半に出ます。
 
 
この民宿もまた、復興に携わる方々が多く泊まっていました。
 
会社で部屋ごと借りて、長期滞在する方も多いそうです。
 

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食堂のおじちゃんに南三陸への行き方だったり、女川のことだったりを聞いて出発します。快晴。
 
 
 
 
この旅、本当に天気にはよく恵まれたなーと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
この日の予定としては、
女川、南三陸、と午前中にまわって、
猪苗代湖畔の民宿に泊まる
 
 
500km超の移動です。
 
 
 
 
 
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午前7時。女川町に到着します。
 
 
日本有数の漁港である女川漁港があります。
リアス式海岸の内陸側に市街地を構えていたこの町も津波による大きな被害を受けました。
 
 

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見てのとおり、何も無くなってしまいましたが、復旧作業に懸命に励む方々の姿が印象的でした。
 
 
 
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(1年前)
 
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(昨日の南三陸)
 
 
 
一年前と比較して分かるように、建物が一つ取り壊されています。
 
写真を撮っている場所は、女川の高台。大体高さ30mほどあり、町の避難場所に指定されています。しかし、この高台の上まで津波は到達したそうです。
 
 
 
 
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高台には、モニュメントと献花台が設置されていました。今月、設置された新しいもののようです。
 
このモニュメントに書かれている、七十七銀行女川支店では、この中にいた12人もの従業員が死亡または行方不明となりました。今は遺族側が銀行側へ損害賠償請求を行っています。
 
 
 
 
 
 
 
 
この女川では、さまざまな場面で、住民の方々の “スピリット” を感じました。例えばスローガン。
 
 
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次に、南三陸に向かいます。
リアス式海岸の内側にある、田舎町です。
 
 
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その複雑な海岸から、津波の被害を受け、
多くの方が亡くなり、多くの方が行方不明になりました。
 
被災後は、旧防災庁舎があることで有名になりました
 
 
 
 
 
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この防災庁舎の屋上より2mほど高くまで津波が押し寄せ、中にいた40人近くが犠牲になりました。津波来襲直前まで避難を呼びかける放送を行ったそうです。
 
今は、取り壊しか、残すかで議論されているそうです。僕が行った際には観光バスが2台ほどありました。
 
 
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この南三陸でもまた、多くの工事関係者の方々が懸命に復興作業に励んでらっしゃいました。1年前に存在していた家の土台が、取り壊されていました。完全にさら地にして、また新たに建設するのでしょうか。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
南三陸には、リアス式海岸という性質上、多くの島が存在します。そのうちの一つが、荒島です。
 
 
 
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南三陸中心部から車で数分。
 
陸とはつながっているため、歩いて行けます。
 
 
 
 


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標高46mの小さな島には、古くか弁才天の島として漁業者の信仰を集めてきたそうです。歩いて山頂まで登れます。
 
 
 
 
 
 
 
 
(猪苗代へ)
 
 
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この日の泊まるところは、猪苗代湖畔にある民宿。
おばあちゃん一人で運営しているこの民宿は、とってもアットホーム
 
ばあちゃんが
「風呂入っておいで」
「ごはんできたよ!」
 
なんだか、本当におばあちゃんの家でした…笑。
民宿、おすすめです^^
 
 

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留学13日目 最初の気持ちを大切に

 
アメリカ生活、 2 週間が過ぎました。
 
 
 
怒涛のように過ぎたというか、新しいことが多過ぎて、そしていろんなことがありすぎて、とても 2 週間とは思えないほどの密度の濃さです。毎日楽しく過ごしているのですが、「まだ2 週間しか経ってないんだ?」という驚きの感覚はたぶん他の留学生にも共感してもらえるんじゃないかなあって思っています。
 
 
 
ONEPIECE を想像してもらえば分かるかもしれません、空島編ってウルトラ長かった ( 計 90話 ) んですが、実際のタイムスケールでは 2 日しか経ってないという、あの感じ!いろんな出来事ありすぎて時間が長くなるあの感覚。伝わるかなあ  笑
 
 
 
 
 
 
 
友達 , 研究 , トレーニング , 一人の時間 , ヒューストン探検、楽しいことは山ほどあるんですが、やっぱり大変なこと辛いことも山ほどあって。社会人の方々がそろって「留学しといたほうがいいよ!!」と言うのがここに来て、未熟ながらもやっとわかった気がします。
 
 
 
 
 
 
 
 
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いろんな経験すると価値観って良くも悪くも移り変わっていくものだと思います。だからこそ、”今”こうやって感じたことを言葉に起こすことには大切な意味があると思うんです。
 
 
「最初の気持ちを大事に  」
 
はじめての留学ブログ、書き始めます。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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9 月 8 日朝 8 時半、ヒューストンインターコンチネンタル国際空港 (IAH) に到着。
 
入国審査ゲートに行き、初めてのアメリカぁぁぁっぁ …( 声にならない )
 
 
 
まず最初に驚いたことは、
 
いろんな人種がいるーー!
 
いたってシンプル、小学生の感想みたいです。でもそれでいいんじゃないかなって。だって初めてですもん。
 
 
 
考えてみれば、小学生のころ、  校区 ” ってありましたよね。
 
小 1 で、学校との往復の道
 
小 3 で、ちょっと離れたあのスーパー
 
小 5 で、電車で 30 分の鹿児島市内
 
あのときって、ワクワクしませんでした?
 
行動範囲が広がり、見える世界が変わっていく、できることが増える ,,, いろんな景色が見れる!!
 
あのときのあの感覚を思い出しました。
 
大学生になって、  校区 ” も  校則 ” も存在しない、休学だってできる。そんな自由な夢みたいな生活が始まり、休学し、新たな環境にこの身一つ、飛び込んで一番最初に感じたことは、不思議なことに小学生だった僕と同じでした。
 
 
 
 
 
 
 
逸れちゃった  笑
 
話を戻します
 
 多様性のある環境 ” に身を置く、そんな生活が待っている。 画一的な環境 ” に物足りなさを感じて、長期休みに違う何かを求めてひたすら旅していた僕にとっては最高の環境。これを求めていたのかも。これから始まる留学生活にワクワクが止まりませんでした。
 
 
 
 
IAH から SuperShuttle という、一種の乗り合いバスのようなものでヒューストン中心部、ライス大学までは、約 40 分、 30 ドル。チップを忘れずに払い、いざ校内へ。 
 
 
 
 
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Rice のキャンパスの特徴としては、
 
・スタジアムは J リーグの試合を開催できるレベル
 
・キャンパスの人口密度が低い
 
・あちこちで本を読んでいる人がいるアカデミックな雰囲気
 
・ジム , プールが道内一の施設より本格的
 
・あまりにもきれいで , おしゃれすぎるキャンパス
 
・図書館が 24 時間営業
 
 
 
 
 
本当にすごいです。
 
まさに、アメリカの  文武両道 ” を象徴しているようでした。
 
 
 
 
 
 
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ということで、
 
 8 時に到着し、
 
新居の手続き、
 
14 時から Rice での各種手続き、
 
その後研究開始
 
という時差ぼけな僕にとってはかなりハードな初日が終わりました。
 
 
 
こっちでは、  大きな研究プロジェクトを務めることになりました。 結果まで出せれば “Good Contribution” とのこと。まだまだ未熟な僕だけど、たくさんの苦労をしながら、そしていろんな人の力を借りながら結果をだしたいなと考えています。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ところで、
 
こっちの研究スタイルと日本の研究スタイルを比べたとき、違いは山ほどありますが、個人的に一番印象的だったのは、「みんな 17 には帰ってしまうこと」。日本では大体の大学院生は 20 くらい ( それ以降 ) まで残って、そして朝早く来て研究するんですよね。アメリカでの研究生活は全然違います。
 
 
 
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 (最近のいちにちの生活)
 
5  起床、朝食、準備
 
6  ジム or プール
 
7  メールだったり
 
8  ~12  研究 ( 解析 , 論文比較など )
 
12  ~13  昼食
 
13  ~17  研究 ( だいたい午後は実験 )
 
17  街に遊びに行ったり (1 人 or 友達とミュージアムだったりディナーだったり )
 
22  就寝
 
 
 
なんというメリハリのある生活!笑
 
 
 
僕が日本にいた頃は、早朝に来て、マッハでいろいろ終わらせ、 ( 周りになんと言われようと )18 には研究室を後にし、友達とご飯に行ってプライベートの時間を ( 半ば無理やり ) 確保していました。そんな自分にとっては、同じようなスタイルがアメリカで認められているのがとても嬉しかったです。
 
 
 
朝の方が集中できるのに、みんな夜型にしてしまう日本の研究スタイル、それはそれでいいところもあるかもしれませんが、個人的には苦手でした。
 
 
 
 
 
アメリカでは
 
教授、先生方は 17 、早いときは 16 時に帰ってしまいます。日本とは違うね、と言ったところ
 
「家族と会う時間が一番大切だからね」
 
とのことでした。 5 歳の娘さん ( めちゃくちゃかわいい ) がいるアメリカ人の先生なのですが、何よりも  家族との時間 ” を大切にされていました。メリハリ、プライベート大切に。そんな生活が理想なのかな




続きます
 

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2日目 陸前高田 "復興のスピード"

 
 
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朝6時、
民宿を出ます。
 
 
 
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なんと、民宿のおばちゃんがおにぎりを...!
 
感動で涙が出そうでした TT
 
 
 
 
 
 
さて、出発です!
 
目標としては、8時半の開園と同時に平泉の中尊寺、
その後、陸前高田をまわって、
女川の民宿に泊まる。
 
 
 
というのがプラン。
昨日の反省から、女川の民宿はあらかじめ予約しました。。。
(おじちゃんおばちゃん、急な訪問ご迷惑おかけしました..)
 
 
 
 
 
 
 
8時半過ぎに、平泉着。
 
 
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ここ平泉は、
奥州藤原氏のもとで栄華を誇った地です。
 
国宝である、中尊寺があることでも有名ですよね
 
 
 
 
 
 
 
松尾芭蕉も訪れたとのこと。
"奥の細道" でもそのような描写があったような...
 
 
 
 
 
 
 
あ!
 
"夏草や 兵どもが 夢の跡"
 
 
ですね!今思い出した。
 
ここ平泉は
義経が臣下とともに立てこもって、討伐軍と戦った地
 
 
松尾芭蕉が、訪れた際に
『かつての栄華や繁栄が、ひと時の夢になってしまい、今はただ夏草が生えるだけ』
 
 
 
 
そんな意味を込めて歌っていました。
(間違っているかもしれません..)
 
中学生のころに習ったんですが、
そのとき、なぜだかとても心が打たれました。
 
記憶力皆無なのに覚えているのは、そのためかもしれません
 
 
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そして、中尊寺。
 
残念ながら、金箔に覆われた肝心の中尊寺は、
撮影不可なので写真はありませんが。。
 
 
 
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松尾芭蕉の像
 
 
 
 
 
 
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陸前高田市に向かいます。
 
岩手県の南に位置するこの街は、
津波によってかなりの被害を受けました。
 
奇跡の一本松があることで有名です。
1年前、この町を訪れた時には、
 
 "低地には何もありませんでした"
 
これらがそのときの画像です。
 
 
 
 
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駅舎ごと流された陸前高田駅。
線路も無く、駅舎の土台しか存在しません。
 
 
 
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当時、この町を訪れた際には、本当に驚きました。
 
低地には何もないんです。
 
カーナビには、現実にはもう存在しない道路や市立図書館などが示されていたのが印象的でした。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
1年ぶりの訪問。現実を見るのが若干怖かったです。
 
 
 
 
ただ、実際に行ってみると、1年前と大きく変わっていました。
 
 
 
 
 
 
12時、昼ご飯を食べます。
 
仮設なのですが、ラーメン店、熊谷
 
 
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ここの担担麺がとてもおいしい
 
 
この地域でも結構有名なお店だそうです。
 
 
 
 
 
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そして、陸前高田市に新たに建てられたイオン
 
 
ツルハドラックや、コンビニなど様々な店舗がありました。
 
 
 
 
 

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また、よくニュースになっている、"希望の架け橋"
 
地元の小学生が、
 
 
「未来の懸け橋となって、
たくさんの人が希望を持てる
すてきなまちに戻ってほしい」
 
という願いをこめて命名しました。
 
 
この希望の架け橋は
山を切り崩し、出てきた土砂を粉砕し、
毎時1000tのスピードで運んでいるとか。
 
 
 
 
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また、その先は回転式で、
効率よく広域に、土砂を落とせるようになっています。
 
 
 
 
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また、陸前高田の観光センター
 
 
僕たちがうかがった際には、丁寧に対応していただきました。
 
観光地としての陸前高田を押し出して、復興のきっかけになればな、と願っています。
 
 
 
 
 
 
 
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そして、"奇跡の一本松"
 
 
 
 
 
想像以上に大きくてびっくりしました。
そして、多くの観光客の方々が訪れていて、
駐車場近くの店はにぎわっていました。
 
 
 
 
 
 
1年前と、大きく変わったこの町は
住民の方々、工事関係者の方々の頑張りがあったからだと思います。
 
 
 
 
 
 
確かに、仮設住宅に住む方も多くいらっしゃり、また、流されてしまって何もない地域もあり、まだまだ支援が必要だと思います。
 
しかし、陸前高田市は確実に復興に向けて進んでいました。
 
 
 
 
 
 
 
それが知れて本当によかったです。
 
 
 
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